みなさんこんにちは! 塾長の長谷です。
最近、塾で気になることを書きます。
コロナウイルスの影響もあり、最近は授業にもゆとりがあります。
その分、儲かりませんから(表現がダイレクトですみません!)何とかしないと!と焦りもあります。
色々考えることがあるのですが、皆さん、なんで塾に行くんだろう?と根本的に考え直すことがあります。
私たち塾は、学力を向上させることで希望する学校に合格させることとしか考えませんが、親の立場になって考えた時に、それだけかな?と疑問に思うのです。
もちろん、高い授業料を出して、点数も上がらず、希望校に合格しなかったら、いったい、塾で何をしているのか?と不審に思います。
でも、本当にそれだけなのでしょうか?
塾って、ただ、受験で合格させるためだけの場なのでしょうか?
私が約50年前に通っていた塾は、元中学校の先生ご夫婦が、退職後、兼業で農業もしながら、夕方から塾をやっていました。
おじいちゃん先生が英語(早稲田の一文出身の先生でした。)おばあちゃん先生が数学(お茶の水大)とお二人ともエリートだったのですが、夏は納屋に長テーブルを置いて、畳の間でみんなそろって勉強。
おばあちゃん先生は、家事の合間をぬって質問対応していました。
先生がいないときは、みんなでプロレスごっこ!
男子ばかり12人でしたが楽しかった思い出が残っています。
冬はおじいちゃん先生が、ストーブでお湯を沸かし、ミルでコーヒー豆を挽きながら、英語の教科書を訳してくれました。
結局、12名中10名が地元の名門の東筑高校に入学、私は八幡南高校、友人の大谷君は八幡工業高校機械科にトップ合格しました。
今の塾のように、すべてが管理されて、競争意識を煽るようなこともなく、12人がお互いに希望校に合格しようぜ!という連帯意識で頑張っていたように思います。
私にとっては、塾の原体験がこれだったので(能美塾と言っていました。)とてもゆとりのある中での学びを体験させていただきました。
私の親も、塾の先生に絶対的な信頼を寄せていました。
授業料がいくらだったとかはよく覚えていませんが、そんなに高くはなかったのではないかと思います。
保護者の皆さんの中には、自分が通った塾が厳しくて、いやいやながら通った方もおられるようですし、塾の先生の中にもつらい思いをして無理やり勉強させられた方もいるようです。
そして、大人になった今、昔の想い出は自分にとっての当たり前となり、塾は厳しくつらいもの、という固定概念を持つ方もおられるようです。
塾に対する考え方は、人によってそれぞれ違うと思いますが、私は、自分の体験も踏まえて、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。
私たちがお預かりしているお子様は、どの子も親にとっては「かけがえのない存在」です。
この子が生まれてきてくれたから親になることが出来た。
親として子供を育て、家族となることが出来る。
そんな幸せを、この子はもたらしてくれた。
私は、結婚して9年目に子供を授かることが出来ました。
それまで、家内は不妊治療をし、一度、流産も経験しています。
だから、余計に子供のありがたさを感じています。
また、子どもが生まれてからは、家内の両親、伯母と同居し、一緒に子供の成長を見守ってくれました。
家内の母は、3年前に他界、その後、私の母、父が相次いで他界し、現在、家内の父、伯母は施設に入所しています。 そんな家族の歴史とともに子供は成長しました。
塾は、そのような家族の歴史の1ページとして、子ども達に受験を通して関わるのだと思います。
その時に、点数だけ取れればいいんだ、点数が取れない子は悪い子、授業に取り組む態度が悪いのはやる気がない、だから塾に来ても意味がない、などは、塾の本来の目的をはき違えていると思います。
確かに、問題が解けるようにならないと自信もつかないし、合格にも近づかないと思います。
それだけが、塾の目的だと考えている人は、目先しか見ていない。
子ども達の人生をもっと深く、もっと遠くを見てあげなけれ、可能性も見えてこない。
そんな視点で子供たちを見てあげることが出来る塾でありたいと思っています。